ブログ京橋店

2018.5.28

端午の節句について

鯉のぼり

春の足音が聞こえてきそうな暖かさとなりました。皆様いかがお過ごしでしょうか、さて本日は端午の節句についてお話しさせて頂きたいと思います。端午の節句は子供の日の5月5日ですよね。男の子の健やかな成長を願い鯉のぼりを飾ったり柏餅を食べたりします。

それでは詳しく見ていきたいと思います。

 

端午の節句とは

 

端午の節句は五節句の中でも最も有名なものではないでしょうか。端午の節句は別名菖蒲の節句とも呼ばれ、男の子の健やかな成長を願う行事が多く行われます。子供の日である5月5日に行う地域がほとんどですが中には旧暦6月5日に行う地域もあるようです。旧暦で午の月の初めの午の日を節句として祝ったのが始まりと言われています。その後、縁起が良い奇数の5が重なる5月5日に端午の節句をすることが慣例となっていきます。

鎌倉時代には菖蒲と尚武を掛けたり、菖蒲の葉が刀のような形をしているということから男子のための節句として始まり、それ以降男子の成長を健康を祈るものとされてきました。一般的には鯉のぼりを立てたり、五月人形を飾ったりする事がお祝いの方法として広まっていますよね。五月人形は男子の体を守ってくれるものとして飾る意味があります。ちなみに鯉のぼりが広まったのは江戸時代です。関東では一般的になりましたが京都などの上方ではその当時には広まっておらず、関東のみの風習となっていました。

 

鯉のぼり

鯉のぼり

鯉のぼりは中国の故事が起源となっており、男子の出世を願うものとして認識されています。その中国の故事というものは「黄河の急流に竜門と呼ばれる滝があり、その滝を登ろうとした魚はことごとく失敗したが、鯉だけは登りきり、その後竜になった」というものです。

鯉の特性として生命力が強い事が挙げられます。このことにちなみ、どのような環境でも生き抜く強い生命力を宿して欲しいとの意味も込められているそうです。さらには、武家に男子が生まれると家紋付きの旗をあげるという昔ながらの風習がありました。この際に縁起物である鯉の絵を一緒にあげたと言われています。

これらのことが今日の鯉のぼりにつながっていると言えます。

 

五月人形

 

端午の節句には鎧兜や刀などを飾ることがありますよね。これは戦国時代の武将や将軍が行なっていたものが元になっています。戦さ場では自分の命を守る鎧兜は非常に大切なものでした。その思いを自分の子供にも伝えたい、この子も安全に暮らせるようにと願っていたそうです。

近年では人形自体も一緒になっているものが多くあります。その人形のように誇らしく、勇ましくあって欲しいとの願いが込められているようです。

 

柏餅

柏餅

柏餅も端午の節句に食べる代表的なものですよね。柏の木は古くから神様が宿ると言い伝えられ、大切な存在として扱われてきました。神社などで参拝する際に手を叩くことを柏手と言いますよね。それもこの柏の木が神様の宿る木と考えられていることに由来します。

かしわのきは新芽が出るまで古い歯が落ちないという特徴があります。これが縁起が良いということで子孫繁栄の象徴としても考えられてきました。

そういった意味も込めて端午の節句では柏餅を食べるようになったと言われています。

 

今回は端午の節句についてお話しさせて頂きましたがいかがでしたでしょうか。古くから男子の成長と健康を長う行事として脈々と受け継がれてきたものですからこれからも大事にしていきたいですよね。簡略化せずに昔の伝統をそのままに伝えていくことが大切なのかなと思います。

 

当店では、すき焼き、しゃぶしゃぶをはじめ、様々な旬の食材を使った料理をご用意しております。ぜひ一度、当店自慢の料理をお召し上がりになってみてはいかがでしょうか。

 

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