ブログ新橋店

2017.8.30

花火の歴史について

今年の夏は花火大会に足を運ばれましたか。花火は夜空に色とりどりの美しい花が咲いて、毎年趣向が凝らされとても楽しいですよね。花火は1400年代にはじまり、江戸の人々にも大変人気があったそうです

本日は、花火の歴史と日本三大競技花火大会についてお話させていただきたいと思います。

花火の歴史

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まずは花火についてお話します。

日本で花火が始まったのがいつで、どんな時にどこで始まったのかはわかりません。現存する一番古い記録としては、室町時代の『建内記(建聖院内府記)』という公家万里小路時房の日記に記されています。その中には1447年の5月に花火であろうと思われる風流事を浄華院の法事の後に「唐人」が行ったと書かれています。その時の花火は数種類あり、一つには鼠と言われる火をつけると走り回る仕掛け。そして、竹で水車や桔梗などの枠を作り、そこに縄を伝って火が点火されるもの。そして、流れ星のように火をつけると飛んでいくものがあったそうです。

その後、江戸時代になり戦が落ち着くと、花火を専門とする火薬屋が登場します。1648年には隅田川を除くほかの場所での花火を禁止するお触れが幕府より出されており、このことからも当時から花火が人気あったと考えられます。1710年代に出版された『和漢三才図会』では鼠花火や狼煙花火について書かれています。その後も1665年、1670年と花火の禁止令が出ており、この理由は打ち上げ花火による事故が原因であるとされています。江戸での花火が行われなくなったことで、花火の舞台は地方へも広がっていきました。

現存している(2013年現在)最も古い花火業者は宗家花火鍵屋という東京の業者です。この業者は初代弥兵衛が1659年におもちゃ花火を売り始めて、始まりました。

江戸時代には、二大花火師とされる鍵屋、玉屋がおり、両国橋の上流で玉屋が打ち上げ、下流で鍵屋が打ち上げていたそうです。打ち上げに際して、「たーまーやー」「かーぎーやー」と掛け声がかけられ、現在でも「たーまーやー」という掛け声の名残は残っています

当時の歌には「橋の上、玉や玉やの声ばかりなぜに鍵やといわぬ情(じょう)なし」「玉屋だと またぬかすわと 鍵屋いい」というものが残っていたり、浮世絵に玉屋の花火が多く書かれていることから、当時は玉屋の方が鍵屋より人気があったようです。

しかし玉屋は、1843年5月16日に失火し、1500坪ほどの街も焼けてしまいます。失火は当時重罪とされ、家名断絶となってしまい、僅か一代で絶えてしまったようです。

 

日本三大競技花火大会

日本三大競技花火大会

日本三大協議花火大会についてご説明します。

どの花火大会も迫力があるので、ぜひ足を運んでいただきたいおすすめの花火大会です。

1つ目は曲の花火」と呼ばれる秋田県大仙市大曲地区の雄物川河川敷運動公園で毎年8月の第4週土曜日に行われている花火大会です。

2つ目は茨城県土浦市で行われている土浦全国花火競技大会です。日本煙火協会が後援をしているそうです。

3つ目は宮川の花火と呼ばれる三重県伊勢市中島の宮川下流畔で行われる伊勢神宮奉納全国花火大会です。

その花火大会も素晴らしく、人気があります。行ったことがない方は、どこかに足を運んでみてはいかがでしょうか。きっと素晴らしい夏の思い出になります。

当店では、すき焼き、しゃぶしゃぶをはじめ、様々な旬の食材を使った料理をご用意しております。是非一度当店自慢の料理をお召しあがりになってみてはいかがでしょうか。

皆様のご来店心よりお待ちしております。

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